和平(わっぺい)さんからのおくりもの(一)

時こそ旅人なのである」と、エッセイ「俺の故郷」の中で綴っていた、作家の立松和平さんが、自ら風となり、疾風(しっぷう)のごとくわたしたちの前から消えてしまった。                  合掌

今年もハクチョウたちが北へ帰っていった。賑やかだった袋地沼から見物客も去った。気がつくと沼は、普段の静けさを取り戻し、季節がぐらりと初夏に向かってジャンプしていた。旅の途中に立ち寄った彼らの一団を見るたびに、「雪の中からとけだした、しずくのようなコハクチョウの姿です」と、著書に署名してくれた作家の立松和平さんを想い出す。書名は、「流氷のおくりもの」だった。
稚内大沼野鳥館

5年ぶりの再会かって私は、立松和平先生をメーンゲストに「ハクチョウ座談会」を企画したことがある。出席者は和平さん、道北のハクチョウおじさんと、その仲間たち。目的は、総合雑誌「月刊道北」に掲載するためであった。当時も今も、東京から稚内へは直行便が飛んでいる。稚内は最果てだが、天候が荒れて欠航しない限りは、便利なところなのだ。和平さんが、稚内子供連絡協議会創立三〇周年記念講演会のため来稚すると知って、お願いしたのである。彼は超がつくくらい多忙な作家だった。稚内市長の浜森辰雄さんと、和平さんが早稲田の先輩、後輩の間柄だから、「ようやく実現した」と、あとから裏話を聞かされた。

4名の写真

和平さんは、当時、テレビ朝日の「心と感動の旅」に出演し、各地を飛び廻っていた。稚内も放映され、「稚内大沼ハクチョウの会」で、対応したのが、そもそもの始まりだった。ハクチョウ仲間は、テレビで共演してから、親しみと敬愛を込めて、立松先生を「わっぺいさん」と呼ぶようになったという。とはいうものの、当時、わたしはS町に在住していて、よもや、稚内に転居して、ハクチョウの会に所属し、彼らと共に活動するなどとは、夢にも思っていなかった。誠に運命的な出会いであったのだ。「心と感動の旅・稚内編」は見逃したものの、私は、毎週その番組を楽しみにしていた。和平さんの声はちょっとハスキーがかり、何より声に特徴があった。数ある著書より先に、声に惹かれてしまったのである。和平さんは道新夕刊連載など数本を抱え、超多忙な売れっ子の自然派作家だった。にもかかわらず、講演会終了後のわずかな時間を縫って、「ハクチョウ座談会」に出席してくれた。これもひとえに、ハクチョウが取り持つ縁に違いない。稚内大沼は声問地域にある。地図でみると上の方になる。汽水湖で、かってはしじみも獲れたというのだが、土砂の流入などで、近年は水深が浅くなってしまった。新装なった大沼バードハウスでの座談会を企画したものの、内心は冷や汗ものだった。頼りになるのは自分だけというなかで、録音機や撮影の失敗は許されなかったからである。すでに大沼には、南へ下るハクチョウたちがぼつぼつ集結し、彼らをめがけて、観光客も集っていた。会場には、立松先生、稚内(吉田敬直氏)や浜頓別のハクチョウおじさん(山内 昇氏)、それにハクチョウの会事務局長(庄崎裕史教諭・当時)。と、その仲間たちである。五年ぶりに大沼を訪れた和平さんは、丸太のかおりがするログハウスで、「ここには、何にもなかったのにねえ」と、いたく感慨深げであった。話題はハクチョウ一色だった。何せ、メンバーは皆ハクチョウ大好き人間ばかりなのだ。まず、トップバッターは、稚内ハクチョウおじさん吉田敬直氏(漁業)の話しから始まる。

稚内大沼に何故ハクチョウを呼ぶことができたのか」の問いに「子供たちに夢を与えてやりたかったから」。とその動機を語る吉田さんは、いかにも海の男らしく潮焼けした精悍な顔立ちであった。稚内の冬は、灰色の海と、風雪との戦いだけに終始する。そんな侘びしさを、空行く鳥たちに癒されたかった吉田さん。「大沼にもちょっと寄っていってちょうだい」と願い、ハクチョウの鳴き声を録音したテープレコーダーを回し続けたという。長年にわたる「ハクチョウ呼び寄せ作戦」(拡声器と、給餌作戦)が実を結び、ついに大沼は、渡りの中継地として、野鳥たちにも認知されることとなった。沼周辺は、ハード面の施設も整い、日本最北の渡り鳥中継地として、揺るぎない不動の地位を確保、新名所として、全国区デビューを果たしたのである。

浜頓別のハクチョウおじさん教科書に載る

 

二番手の山内昇さんは、浜頓別の営林署を退職後、冬季湖に氷が張り、ハクチョウ達が餓死してゆく様を見るに忍びなく、私費で給餌した人である。一時は体調を崩し、「ハクチョウももうだめか」と思っていたが、幸い後継者も現れ、無理しない程度に頑張っている。と語る。町からは70万円のえさ代が支給されている。(当時)人口5000人足らずの町では、それぐらいが限度という。

浜頓別白鳥当時、和平さんが、山内さんを取材して書いた「山内さんのハクチョウ給餌活動」の記事が、東京書籍の中学二年生の教科書に採用された。ハクチョウ一代記が8頁にも渡って掲載されているという実物を、和平さんは机の上に拡げた。「区域が違うので、北海道の子どもたちは使っていない」と、残念そうな表情を見せた。私といえば、入社3年目で、「門前の小僧習わぬ経を詠む」で、見よう見まねの取材記事を書くようになっていた。

大沼のハクチョウに関しては、吉田敬直さんも自費を投じて餌付けをしている経緯を話す。その努力を行政が認め、ハクチョウの餌代年間250万円の予算をようやく計上してくれたという。当時、ハクチョウの餌代にも困った吉田さんが、愛車のランドクルーザーを「売却した」という話は、有名なエピソードとなっている。野鳥好きな私もしっかり彼らの仲間に入れてもらい、張り切って記事にも書いた。稚内のハクチョウおじさん吉田敬直さんの取り組みは、ノンフィクションとしてこの上ない題材だった。稚内大沼ハクチョウ祭りでは、共に汗を流し、観光客のもてなしをした。ハクチョウが取り持つ縁は、和平さんも巻き込んで強い連帯意識が芽生えていったのである。輪が強く結ばれるには、事務局の庄崎先生の力も大きかった。正に縁の下の力持ち的役割を果たしていた。わたしにとって、生前の和平さんの声も好きだったが、特に自然を描写する彼の作品や生き方に惹かれていた。立松先生の初期の作品「森に生きる」や、「山のいのち」などの児童書は、川村たかし先生が児童文学者だったことと、無縁ではない。

和平さんのエッセイに、冬の礼文島鮑古潭(あわびこたん)に住む浜下福蔵さんをたずねたことを題材にした

「俺の故郷」がある。特に最後の「時こそ旅人なのである」

という下りに、胸捕まれ、ますますファンになってしまった。「稚内ハクチョウの会」に係わりをもつ、ずっと前の話しである。その憧れの作家、和平(わっぺい)さんと、テーブルを同じにし、時間までを共有していることで、私のテンションも空高く舞い上がっていた。生きて仕事をしていると、思いがけずこんな出会いも巡ってくるのだと、改めて、和平さんや、その仲間たちに、胸内で両手合わせて感謝したのである。予想していたとおり、和平さんは、朴訥な話しぶりで、テレビに出演しているときと同じ様子で、初対面とは思えぬほど、ざっくばらんであった。わたしこそ和平さんとは初対面で緊張していたが、ハクチョウ関係者とは、二度目ということもあり、肩肘張る必要など全く無かったのだ。

銃撃されるハクチョウたち ロシアは貧しかった

次に、ハクチョウの会メンバーで、サハリンへ行ったことが話題になった。コルサコフ(大泊)の遠淵村は、山内昇さんのふるさとである。五一年ぶりに訪ね、泣いて拝んできたという。遠淵湖には、昔は伊谷草が生えていて、ハクチョウがそれを食べていた。故郷は見る影もなかったね。この五〇年の間、ロシアは一体何をやってきたのかと思うほど荒れ果てていた。サハリンでは、ハンターが、ハクチョウやカモをバンバン撃っていた。(※当時)日本では手厚く給餌し、保護されて人間にもなれて、親しげに近づいて来て餌をねだるけれど、国境を越えた向こうでは、五〇倍の望遠鏡でも遠くにしか見えない。すっかり野生に戻っている。人に食われることを知っているからだね。彼ら(ハクチョウ)は、何処でスイッチを切り替えるのかと思う。日本では、マガンやヒシクイ類は天然記念物として保護されているのに。(※ロシアも、ハクチョウやカモを保護鳥としている)山内さんの親友(サハリン在住・ロシアに帰化)によると、牛や馬の肉が食べられるのは、政府の役人だけで、一般国民は貧しく、ハクチョウも野鳥も大切な食糧なのだという。初めてサハリンを訪れた事務局長の庄崎裕史さんも、サハリンの国土が荒れ放題で、森林破壊がすごかった。山肌が見事にペロリとはげあがっていた。あの衝撃的な光景が目に焼きつき離れない。当時のサハリンの様子は、わたしの子どものころの日本の風景に似ていた。

ハクチョウたちとの共生の道を探るウチ(浜頓別)では、ハクチョウの数が格段に多いので、冬季餓死するのを見かねての給餌作戦だったけれど、内地の穀倉地帯で、保護だといって、給餌するのは、おかしい。それより、野鳥たちの住み良い環境を守ってやることの方が大事だと思う。と提言したのは山内さんだった。和平さんが引き取って続ける。東京番外地にあるゴミ捨て場がスゴイことになっている。私が行くと、シギ、都鳥などが、同じ方向からじっと見ていて、まるでヒッチコックの映画の中の鳥みたいで、気味が悪かったですねー。それで、年末年始の休みのときには、彼らは「忍ばずの池」に集まる・・・。立松和平さんを囲んでの「ハクチョウ座談会」は話題沸騰、終了する気配さえなかったのである。(続く)

※数字、状況は当時のままとしてあります。お世話になった方で山内昇さん、立松和平先生がすでに他界されており、誠に淋しい限りです。

 

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