果たして雲海は出現するのだろうか。
雲海は湿度が高く、昼夜の気温の差が激しい春と秋の早朝に発生しやすい。
神威岳は、スキー場である。我が家からも見える。冬場ににぎわうスキー場の頂上が、雲海出現スポットになった。東西南北、全方位で雲海がみられる。大昔からの自然現象なのだが、近年になって、マスコミが報道し始めたこともあって、山頂に人が集まり出した。
だが、今春、頂上付近に熊が二頭出没した。
熊とは会いたくないので、腰が引けていたのだが、撮影シーズンを迎えた今、そんな悠長なことはいっていられない。
「雲海見物客も登ってくるので、熊も遠慮するだろう」などと、勝手に決めこんで、気にしないことにした。
気にしないことといえば、友人で登山家がいる。登山歴8年になる。夏山専門で、つい最近、大雪山山系(赤岳~忠別岳~トムラウシ山など)を4日間かけて縦走してきた。テン泊(※テントを張って野営)で、担ぐ荷物が25キロだったという。荷物のなかには、一眼レフカメラも入っている、山岳風景や高山植物を撮しながらの登山なのだ。
彼女によると、山小屋に泊まるより、テン泊の方が、気楽に眠れるからとのこと。
3日間晴天にめぐまれ、壮大な雲海に出会え、ご来光も拝めた。山にこもっていると、下界に降りたくない心境になったというが、普段は、れっきとしたOLである。若いということは、何とすばらしいことだろう。
熊との遭遇では、「むしろ、年取った人間のほうが怖い。クマのことは心配していない」と、さらりといわれ、勇気をもらった。
北の不夜城
未明に、スキー場入り口に到着した。「クマ出没注意」の看板に並んで、「頂上まで7分」の、表示板があった。昼間ロケハンしたときに見つけたものだが、闇夜なら小さくて完全に見落とす。
細い急斜面の登山道である。車が一台交差するのがやっとだが、舗装はされている。
暗闇の森では、何が出て来るか分からないと、緊張していた矢先、路面を急にリスらしき小動物が横切った。更に、登山道の右側にうごめくものがある。エゾ鹿だった。ライトで目つぶしにあっているのか、固まって動かない。急に飛び出す様子もない。熊でなくて良かったと、思いながら頂上に向かう。
昼と真夜中では、頂上に通じる森の雰囲気が、全く異なってみえる。「危ないから、女一人で来るな」とばかりに、森の木々がいっせいに、眼をさまし、口を揃えて叫んでいるかのように、幻聴が聞こえてくるのであった。
急激に外気温が下がっているのが、フロントガラスの曇り具合でわかった。すでに辺り一面に薄い靄がかかりはじめていた。天気が味方してくれたのだ。
特に今年の秋は、北海道に台風が次々上陸した。その影響もあってか、どす黒い雨雲の動きがいつになく活発だった。
台風一過の夕焼けや、天気が下り坂になる前の朝焼けなど、気象の変わり目に、天空では予期せぬドラマが繰り広げられ、狙いどころなのである。
頂上(標高467㍍)にある展望デッキはコンクリート製で、東側に面して建てられていて、30人ぐらいはゆうに登れるようになっている。
すでに車が二台、先客がいた。デッキに三脚が備え付けてあった。なぜか無性にほっとした。
早速、ヘッドキャップをつけ手早くカメラをセットする。モタモタしていると、すぐに夜明けが始まってしまうのだ。
手前に生い茂る木々の葉が静止して、無風だった。闇と静寂が眠れる森を包みこむ。この頂上を含む一帯は、自然公園にも指定されている。
眼下に市街地がおぼろに見渡せた。歌志内は元炭坑のあった街である。
縦に長くS字状にくねり、一晩中眠らない信号機や、街路灯が霧の中にうかびあがる。手前にはロッジや、温泉宿のあかりも見える。深い霧は漂いながら右に左、上下にも動く。吹雪とおなじで、軟体動物のように流動し激しく、そして移り動く。霧が移動するたびに、街の灯りが濃く薄く浮かんでは消える。幻想的な光景が拡がっていた。
夜明けとともに、薄いレース状のカーテンが、空から下界におりてきて、厚い緞子(どんす)のカーテンに変わり、見事な、モコモコした分厚い絨毯が完成する。
ドラマは、夜明けから太陽が上がってしばらくは続く。今はまだ、予告編をみているにすぎない。
夢幻の眠らない街歌志内は、さながら「北の不夜城」のようだった。
天空には、ところどころに、雲が園遊会でもしているように、うろついていた。その狭間から、わずかにぴちん、ぴちんと星が光ってみえる。
正面の山並みの縁から血の色をした満月が無音の森に上がりだした。満月は黄色に変色しながら手前の梢の上空に移ってゆき、天空高く白銀色になってしまった。
月光が注ぐ夜は、星の輝きが薄まる。星の流れる軌跡を撮すつもりだったが、星の撮影のほうは取りやめにした。夜明け前から日の出にかけて始まる「雲海の絨毯(じゅうたん)撮影」へ体力を温存せねばならない。「二兎を追うもの一兎も追えず」ということわざもある。無理せず、車に戻って仮眠しよう。
車は頂上の展望デッキに一番近い場所に止めてある。
撮影場所のそばに駐車できるのは、誠に都合が良かった。
私の思考回路も闇の中で、霧に包まれながら、過去に向かって漂い始めるのだった。
写真撮影を趣味にするようになって、早いもので、かれこれ15年になる。
過去には、師匠のもと、撮影会が企画され、何度も車中泊をした。いわゆる、夜行日帰りの行程で、こちらを夜中に出発、夜をまたいで、翌日の夜に帰宅するという強行軍である。
師匠とその塾生たちで、夜の道北サロベツ原野を訪れたことがある。
運のいいことに、所々に雲が星を遮っていたが、黒い利尻のシルエットが浮かびあがっている。朝方にかけて、一帯に霧が発生するのは、間違いない。
湿原が隅々まで闇を乗せていた。遠くに見える灯りは、幌延の市街地だ。灯りが沼に映り込む。絶好の撮影チャンスだった。
「ここには、熊が出ないから大丈夫だ」との師匠のひと声で、それぞれがなるべく離れて陣取る。お互い迷惑かけず撮影に入りたいからである。
湿原にある木道は、人が歩くと僅かに震動する。途中カメラ本体を揺らしても失敗するし、レンズが曇ってもぼやけた作品になってしまい、一晩の努力が水の泡になってしまう。あたりに緊迫した空気が流れる。
木道の上での野営は初体験だ。
一晩中、ボデイのシャッターを開いた状態で1時間をひと区切りとし、星の軌跡を撮影し続けた。
寝転がって天を仰ぐと、四方八方から星の軍団が押し寄せて来る錯覚に襲われだんだん息苦しくなってきた。風も眠る夜半だった。
6月下旬、初夏とはいえ、下サロベツの夜中の木道は、寝袋に入っていても背中がじわーっと冷えてくる。
雲海は、滝川丸加山高原でも春と秋から冬の始まりまで見ることができる。
こんな夜中に何処にゆくの?という声を聞き流し、家を出る。
女ひとりの夜の撮影は、常に孤独との戦いである。
丸加山頂上からは、西側正面に雄大な樺戸連山が一望に見渡せる。
春には、水をたたえた田圃が夕陽に輝き、菜の花の黄色い絨毯も拡がる。菜の花の耕作面積も日本一になった。晴れた日の夜は、天の川も見える。この空知野一帯は、撮影ポイントが多い。
神威岳山頂の空に青みがさしてきた。星たちの光が衰えはじめて、夜が逃げてゆく。夜明けが近づいてきたのだ。
「北の不夜城」と、私がかってに名付けた歌志内の街もすっかり霧のなかに埋没し、足下に霧が迫っていた。霧には、不思議な浄化作用があると思う。霧の中に身をおくと、先ほどまで、心に抱えていた、つらさや悲しみもすべて、吸い取り清めてくれる。
水霜がおりたのか、重たげなススキの穂が、わたしの体をなでている。
気がつくと、寒さ対策に羽織っていた冬用のアノラックも機材も夜露を吸って濡れた。
朝霧は全ての下界の音を吸い取って、流れるともなく流れて、分厚い塊をつくりだし、雲の海へと変わってゆく。朝一番の光によって、絨毯は、その色を変える。天空に雲がないときや、曇り空の時も、雲海は普通の灰色のまま、ただの霧のかたまりで終わる。
はたして今日、太陽は顔をだすだろうか。どんな光が現れるか。毎度、日の出時は、期待に胸が膨らむ一瞬でもある。
森の鳥が一斉に鳴き出した。小さな風がまつげを吹きすぎた。
風と呼んでいいのかどうか、わからぬ位のうごきであった。東方に、何時あつまりだしたのか、どす黒い雲が、まるで太陽の行く道をふさぐように、被さってきていた。だが、あきらめるのは、まだ早い。むしろ、このような条件のときこそ、空が焼け、赤い雲の絨毯も出現することが多いのだ。
「これから、雲海が出るのでしようか?」札幌からきたという、初老の女性が、カメラをのぞき込むように、話しかけてきた。
森の夜明けだった。
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