生きとし生けるものたち(その2)

 

豊かな自然に囲まれて

我が家の庭には、いろいろな生き物が遊びにくる。

前庭に短く刈り込んだオンコの樹が何本かある。その樹を伝いながら、雀が年中遊んでいる。

今頃には、オンコの赤い実をついばみ、上空にカラスが飛んでくると、樹の奥の方に逃げ込む。隠れ家の役割も果たしていて、居ながらにしてバードウオッチングも楽しめる。

玄関フードに釣り花や、蘭などの鉢を並べている関係で、生き物が集まってくる。

蛙の宿

まず、蛙である。

小指の先ほどの蛙が壁に張り付いていることもあるし、玄関ドアの取っ手にしがみついているときもあって、びっくりする。

郵便受けの蓋のところにもまるで置物のようにちょこんと止まっていたことがある。知らない来客なら、置物と間違うだろう。壁やたたきに細かい糞が落ちているので、冬眠するには、早く、居心地が良いらしい。

裏に、ぶどうの木も植えてある。そのブドウの葉の上に緑やら薄茶色の小蛙が、まるで保育園の園児のように並び、ひなたぼっこするように乗っている。

いつかは、早朝、蛙の大きな鳴き声に飛び起きたことがある。台所から、鳴き声がする。当初、裏庭から聞こえてくるのだと思っていたが、そうではなかった。鳴き声のする方に耳をそばだてると、なんと洗いかごの縁で、太った大きな茶色の蛙がごろごろと鳴いているのだった。早速軍手をはいて、庭に戻してやったものの、網戸が破れている箇所もないのに、いったいどこから侵入したものか、未だに謎である。

我が家の周りは、前も後ろも空き地となっている。町が造成して宅地として売り出したものである。

国道275号線沿より、ほんの三丁ほど、西に入る。郵便局もあり、JR滝川駅へも高速道滝川インターもある。札幌に出るのに、夏は275号線、冬は吹雪を避けて一二号線を利用すれば良い。誠に、立地条件に恵まれている。この自然と、社会教育環境が充実していると、気に入って終の住処に選んで、はやくも20年(ふたとせ)近くになる。

元々田んぼだった場所である。抽選で南東向きの角地が当たった。日当たりもこの上なく良い。「隣は何をする人ぞ」といった具合で、面倒なつきあいもなく、まるで都会のようである。それでいて、周りに生き物が住んでいて、慰められている。

春、田に水が入ると、待ちかねたように、さっそく蛙たちの声がしきりにわきたち、七月はじめには、早くも夜更けに虫の声がそれに合わせるように合唱する。

今夏は、七月が好天だったこともあり、トマトやキュウリが、近年にない豊作だった。収穫しようと、かごを持ってトマトの根元を見ると、誰かがかじったあとがある。カラスではない。狐?アライグマ?犯人は不明である。だが、彼らも生きるのに、精一杯なのだ。少しぐらい横取りされても、お裾分けと思えば、腹もたたない。

庭師に小さな庭石と飛び石を並べて貰ったら、近年、石にビロードのような苔があちこちに生えてきた。石も生きているのだと実感するひとときで、しみじみと眺めてしまう。

へびの住処(すみか)

その石の隙間が気に入ったらしいのが、蛇である。

真夏のある日、前庭の飛び石のうえに寝そべっていた。ウヮーと叫んで、その場にすくんでいたら、その叫び声に驚いたのか、背中をぴよんと膨らませ、あわてて、ススッーと、音もなく飛び石の上を超えながら、牡丹の間をすり抜けて、消えていった。隣家では大型の牧羊犬を飼っている。まさか、犬のいるそばには逃げないだろう。とにかく、足もないのに逃げ足がはやいのだ。きっと裏側の車庫に沿っておいてある。石垣の隙間にでも逃げたに違いない。

今夏、蛇の抜け殻が外の水道管の根元にあった。大きさは中くらいの太さか。基準がないので、中くらいの太さといってもわからないが、アオダイショウみたいに太くはない。毒蛇かどうかも不明である。居を構えて、抜け殻を見たのは、はじめてである。

孫の友達に蛇を飼っている家があるという。蛇を首に巻き付けるというから、驚きを超えて気持ちが悪い。

「蛇は縁起が良いのだよ。蛇の抜け殻を財布に入れておくと、お金が貯まる」といった人がいる。家を守ってくれるともいうが、足がない、足がでない=無駄なお金を使わない。等と、言い伝えがあるらしい。

何年か前、撮影のため、増毛の渓流の森に通じる暑寒別川河原で、山を入れて写真を写そうと河原に降り、写し終えて、車に戻ろうとして、驚いた。何匹かの蛇が玉石の上にたむろしていた。蛇の種類が何かは分らないが、それ以来、その河原には、二度と近づいてはいない。

蛇といえば、夫が現職のとき、110番通報が入り、民家の屋根裏で「なにやら、ごそごそ音がする。蛇みたいだから捕まえてほしい」という依頼があった。かけつけたが、薄暗い屋根裏で、蛇の姿はなく、見つけられなかったと聞いた。

八月に入ると、トンボの季節で、秋が来たよと、告げるように羽根を虹色に輝かせながら、すいすい飛び交い始める。どこから入ってくるのか、玄関ルームや、居間にも潜り込む。

緑色のキリギリスや、小さなコオロギなども、負けじと窓辺にとりついている。

釈尊は、人間ばかりではなく樹や花や、鳥獣たちにも深い愛を示されたお方であったという。人間も鳥も虫も区別されないというのは、なんという広大無辺な愛情であろう。

 

雑事に追いかけられながら過ごす日々が続いている。

秋の彼岸のまえ、庭の白い秋明菊を仏壇に供えた。

仏壇には双方の亡き親たち四人の小さな遺影を飾ってある。

夫が元気な頃は、よくお経をあげていたものだが、声を失った今、仏前での読経をやめてしまった。

彼が子どもの頃、父である二世住職に連れられて一緒に檀家周りをしたというだけあって、特技はお経をあげることだった。退職後、京都の本山で得度を受けようかと、本気に考えた時もあったのに、それもこれも、今では夢の又夢になってしまった。

夫が声を失って初めて、健康のありがたさを身にしみて実感することになった。

今までは、私の魂がすなおではなく、仏壇に手を合わせていても、どこか、常に冷めた自分がいた。神仏の罰ということも恐れなかった。何事においても、すべて迷信だと、かたづけていた部分があった。

それが、最近微妙に変わったのである。何故だろうと、自身に問いてみる。夫が不治の病を抱えたことで、いずれ誰にでも一度は訪れる死への不安と、悲しみが、一気に私にのしかかってきた。逃れることはできなかった。それで、無性に心のよりどころが欲しくなったのだ。説法がことのほか、心にこ(・)とん(・・)と、染み渡るようになった。

このたび、深川の奥に寺を構える敬愛する老僧の説法に強く心を揺さぶられたことがある。

それは、「仏は、自分の心の中にいるのである。信仰とは、最後行き着くところ、自分を無にして帰依することである。仏は姿を現さず、声もきこえない。信じようとするものには、風のように、陽のようにいつでもそれと知らさぬ穏やかさでぴったりと寄り添っていてくださる。お寺は、命の拠点であり、命の安息所でもある。少し心が萎えたとき、悲しみが増えた時には、どうぞ、寺においでください。」と結んでいた。まるで道標をつけていただいたような心境になった。

ますます、覇気を失ってゆく夫をみていて、何か励ますことはないかと、思案している。来春、雪が溶けて、沙羅の花が仏壇の灯明のように咲き誇る様に願いを込めて、私は沙羅の木に、冬囲いのこもを巻くのである。

終わり

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