北帰行

袋地沼の春はいそがしい。

この沼に、つかの間の休息にやってくる野鳥たちがいるからである。

新しい季節を告げに、先を急ぐ野鳥たちがくる。

鳥たちは、少しでも良い暮らしをしようと、旅を繰り返す。私たち人間と何ら変わらない。

袋地沼は、石狩川が、いつか流れを変えて、忘れていった沼である。地味な沼が、春浅い三月のはじめには、俄然賑わいをみせる。空知野一帯が、渡り鳥の中継地になっているからである。沼に、コハクチョウやマガンの第一陣がやって来て、上空を行き交う。

雪の中から溶け出した、しずくのようなコハクチョウにであうと、残雪輝く山並みでも、その白さには、かなわない。

長い冬を乗り越えて迎えた春だから、喜びは深いものがあり、時が流れ始める音さえも聞こえる。

樺戸連山はまだ雪深く眠りから覚めようとはしない。

辺りの田んぼは、ザラメ雪をかぶったままである。彼らが渡ってきても、果たしてえさがあるのかと、こちらが不安になるくらいなのだ。何せ落ち穂のかけらもまだ堅雪の下なのだから。

この頃、気象の影響なのか、袋地沼の雪解けのパターンが変わってきている。

何年か前は、川の流れに沿って、氷がとけだし、S字型に蛇行する緩やかな流れを、撮すことができたのだが、最近は、その美しいS字型が出現せず情緒がないのだ。沼全体の氷がいっぺんに溶け出し、一面がザクザク氷と化す現象が続いている。

夕暮れが深くなる前に、三脚をセットしていると、「何してるの」といわんばかりにハクチョウ家族が沼の奥の方からあっという間に近づいてきた。首が薄黒いのは、黒っこと呼ばれる子どもである。車のエンジン音にも反応し、えさを求めて、よいしょと陸に上がってくる。立派な黒い水かきを持ったハクチョウは水面に浮かんでこそ水鳥なのだと思う。

こちらがえさのパンくずも持っていない様子を悟ると、彼らは、すーぅと遠ざかってゆくのだった。

今冬は、各地で鳥インフルエンザが猛威を振るい、各地で大量の鶏が殺処分になった。私のふるさとの養鶏場でも鳥インフルが発生している。国の伝染病に指定されていることもあり、強制的に殺処分された。問答無用の処置である。これが、国の特別記念物丹頂鶴でも、同様な処置をするのだろうか。考えると背筋が凍るほど怖いことなのである。

国から保証金が出ることもあって、災難にあった業者は倒産しないらしいと知ったのは、最近である。

鳥インフルの関係で、野鳥たちにえさやりをしないことになった。砂川遊水池でも、阿寒の鶴センターの給餌場でも、一日二回行っていた給餌を取りやめた。

 

日ごとに雪解けがすすむと、近隣の田や畑でえさを食べてきたハクチョウやマガンが、鍵のかたちの編隊を組んでつぎからつぎへと、クワ、クワと鳴きながら沼に戻ってくる。その光景は壮観で胸が躍るほどである。彼らはまるで、地面や天からわき出るように、沼に帰ってくるのだ。鳥の群れを夢中で追っている内に、あたりはどんどん暗くなり出し、沼は一面鳥たちの寝床に様変わりしてゆく。

暗闇が沼とハクチョウたちを包み込むころ、主役が入れ替わり天空では、星たちが次の出番を待っている。

このぶんでは、星空撮影が期待できそうだ。

袋地沼を前景に樺戸連山と星の流れをコラボする。沼面にも星の流れが映り込む。星の軌跡を撮すのである。ちらばる星の点と点を長時間かけてつなぐ。カメラのシャッターを開けたままにする。一コマ三〇秒として、シャッターが自動的に落ちる仕組みにセットする。最近写真仲間たちが取り組んでいる、比較明合成である。あとは、車の中で待機すれば良いだけとなる。

 

彼らはこれから北を目指す。向かう先は、稚内を経由し、海峡を一気に渡り、異国のサハリンやシベリヤに着く。彼の地で繁殖し、冬になると子どもをつれて、再び戻ってくる。

空知野と稚内はハクチョウを軸にして見えない赤い糸で結ばれているような気がしてならない。

稚内といえば、ハクチョウ祭りに仲間と一緒に汗を流したことがあった。ハクチョウを縁に、人々が声問大沼に集った。

当時のハクチョウの会のメンバーの主軸だった事務局長(教員)が転勤で稚内を離れたり、一番の主役だったハクチョウおじさんが体調を崩したのも、会が解散に追い込まれた理由のひとつだと、風の便りで知った。新装なった「大沼野鳥館」で、自然派作家の立松和平さんを囲んで、座談会を企画したことがあった。「緑の星に生まれて」といった題目で、和平さんが、稚内に講演に訪れたのだ。

ハクチョウを扇の要にして、揺るぎない人の輪ができ、何よりの財産だと思ったのもつかの間、浜頓別のハクチョウおじさん(山内昇)を追いかけるように、立松和平さんも、彼岸の人になってしまった。人の命の儚さを、これほどに嘆いたことはなかった。人間でも、動食物でも命には限りがあることを痛切に感じたのである。

特に立松さんは、六二歳の若さだった。和平さんが亡くなってから、生前の立松さんを忍ぶように、せっせと、著書を読みあさっている。

袋地沼の西側は、斜面を降りて沼のそばまで、近づくことができる。沼の縁に近づくと、驚いたハクチョウたちが、羽音も賑やかに舞いあがった。その羽ばたきは、私を遠い時代へ連れてゆくのに、何のためらいも感じさせなかった。

ハクチョウにまつわる伝説はたくさんある。

ギリシア神話では、白鳥は天の支配者ゼウスの化身だとされている。彼は白鳥に姿を変え、どこにも現れる。そして、美しい女性との愛が続いた。とも記録されている。

こういう主題は画にもなって残っているので、多くの人々の知るところである。

アイヌ伝説にも、戦さで全滅した部落で、ただひとり生き残った男子を、婦人の姿をした白鳥が育て、成人したのちに結婚して部落再興を果たしたというのもある。だけである。

早朝の、ねぐら立ちは、マガンを指す。夜明け前、沼がざわざわとしだすと、それを合図のように、一斉に飛び立つ。上空を真っ黒に染めて、旋回しながら、再び沼に戻ってくることもある。

ハクチョウといえば、一緒にはとびたたない。のんびりと羽根を繕う。ウオーミングアップを十分にして、体内時計が上がってから、おもむろに飛び立つ。一軍の長の一声で、一斉に水面を蹴り助走して、フワリと浮かび上がる。朝の色温度の低い逆光が、ハクチョウの羽根と、腹を赤く染める。それはまるで、桃色ペリカンに似ていて、ため息のでるような美しさである。

彼らはいつ、北へ旅立つのか。それは、彼らにしかわからない。と答えてくれたのは、美唄宮島沼の自然館の職員だった。

黄昏のころ、彼らは、身体の奥から力がわいてくるのを確かめるように、旅立つ。まるで、迫る闇の恐怖からのがれようとするように、薄闇のなかに消える。目指すは稚内大沼であり、海を渡り、北のカムチャッカかシベリアである。飛行距離が一日何キロになるのか、それも不明である。ただ、わかっていることは、よほどの天変異変がない限り、ハクチョウたちは、今秋、首のくろい子どもを連れてこの空知野に、舞い戻ってくるだろうと、いうことだけである。

 

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