月に帰ったうさぎ

今年は、うさぎ年。

飛翔の年ともいわれて、すでに半年が過ぎようとしている。

中学生の時、我が家でうさぎを、飼っていたことがある。

毛並みは白、肌ざわりが良かった。

そのうさぎが、夏の日に、物置から脱走、行方不明になってしまった。

我が家の西側に遠く連なる日高山脈めがけて走り続け、生きているのか、死んでいるのか、それもわからなかった。

妹たちと交代で、家の前の野草を食べさせ、遊ばせてやった。原っぱに出すと、喜んで飛び跳ね、すぐ遠くに走って行ってしまうので、油断ならなかった。

うさぎは、とうとう帰っては、こなかった。

まもなく、うさぎが掘ったらしい巣穴から、ふさふさした子うさぎたちが降るように、次々に飛び出してきたのである。

それは、それは、真っ白で、土の中にいたというのに、毛が汚れてなく目がくるりと赤く、まぎれもなくぬいぐるみのようだった。

何匹生まれていたのか、その後、子うさぎがどうなったか、三人の妹と、七十路を超えた末の弟に聞いても、なぜか、誰もが覚えてはいなかった。

降り積もった歳月に、お互いの記憶が押しつぶされたのだ。

唯一、事実を知っているに違いない両親はこの世にいない。

互いに共有していた場面は、「穴から、子うさぎが、降るように飛び出してきた」ことだけだった。

親がいなくなり、「この子たちは、どうなるの。」と、一羽を手のひらに乗せ、途方にくれているうちに、時間を忘れ、学校に遅刻してしまった。

苦い記憶だけが、六十年以上過ぎた今でも消えない。

うさぎは、餌を探しに行くとき、穴を土でふさぎ、天敵に見つからないようにして巣穴をでるという。多産系で、子うさぎは、生後三週間くらいで、青草を食べはじめ、やがて自立すると知ったのは、ずっと後になってから。警察官だった夫と結婚、何度目かの道内異動で、稚内に転居してからである。

写真サークルで、幌延町の動物写真家 冨士元寿彦さんに出合い、うさぎの話を聞き、虜になってしまった。

その稚内で、二十歳過ぎた娘が夏祭りの日、二匹の子うさぎを貰ってきた。

色こそ違うが、六十年前に行方不明になった白うさぎたちの生まれ替わりの様に思えた。

うさぎは、月の使いともいわれ、「ツキを呼ぶ縁起の良い動物」という言い伝えがある。これで、我が家も家族安泰、「皆が健康で暮らせる」と、本当の福が舞い込んだかのように喜び合った。

当時は、ひと棟二戸二階建ての古びた官舎だった。隣には、単身赴任の上司が住んでいた。

官舎住まいだったこともあり、ペットは飼えなかった。

慌てて、小さなゲージと給水器を買いに走った。ゲージを二台買うゆとりはなく、一台のゲージに二羽を入れ、狭い玄関ホールに置いた。

毛は、黒と茶色。

名前はすぐに決まった。クロにペコ。思いがけず、家族が増え、何よりも癒された。双子のわが子の誕生だった。

うさぎは、犬のようには吠えない。元々声帯がないから、声が出ない。人間には懐かない。喜怒哀楽がない。

と思っていたが、そうではなかった。

それぞれの性格の違いも現れてきた。クロは、ペコより、体が少し大きく、おっとりしていた。

ペコを、外に出すと、チョロチョロと、動き回るので、気が抜けなかった。

クロを抱くと、ペコがやきもちを焼くように、「私も抱いて」と、膝に足をかける。癒しのひとときだった。

それはまさしく人間の双子の子どもを育てているのと変わりなかった。

夕方、疲れて仕事から帰ってきて、最初にすることが、クロ、ペコの世話だった。家族よりも優先させた。

家の前に放して、青草を食べさせた。

当時、家庭菜園は作らなかった。

最果ての稚内で、庭の土を起こして野菜を育てようとは、頭の隅にもなかった。ゆえに庭は、雑草が生い茂り、うさぎの餌には困らなかったのである。

クロ、ペコは、何でもかじるので、家の中では、放し飼いにはできなかった。壊した場合、退去の時、弁償せねばならない。以前住んでいた広尾の公営住宅もふすまに穴をあけて、業者に張りなおして貰ったことがあった。当然と言えば、当然な事だった。

うさぎの歯は、全歯とも伸び続ける特徴があり、一年に十二センチ㍍も伸びるという。一二センチも伸びるなど、信じられないが、野生のウサギは繊維分の多い草や木の皮などを主食にしているので、伸びすぎることはなく、自然に歯は摩耗していくという。

間違って、手をかじられたこともない。

嬉しいときは、犬の様に尻尾を振る。まずは、ゲージの外から体を撫でてやる。かまってほしいときには、頭を下げて、ぐいぐいと押し付けてくる。ゲージから出すと、嬉しそうにすぐに、ぴょんとはねる。水密を切ってやると、グツグツと、小声を出して、競争するように、食べる。

そのペコが、隣家の車の下に、跳ねていき、あっという間に轢かれてしまったのは、我が家に来て、僅か三か月、秋も終わり頃だった。こちらの不注意で、死なせてしまった。

ペコを、タオルに包み小箱に入れ、娘と二人で、旭川のペット葬場に出かけた。

稚内から旭川までは、国道四十号を通り片道四時間もかかった。

骨箱を抱えての帰路、私の車に迫るかのように、大きな満月が山の端から顔をだした。

「待ってよー」と、ペコが泣きながら、私たちを追いかけてくる。あれは、幻聴だったのか。

「事故をおこしてはならない。」と、私は頭を振り払いハンドルをにぎりしめた。

晩秋の名月だった。空気が澄んで、肌寒く、遠くから冬の足音が聞こえてくるような夜だった。

ペコは、福の使いとして、我が家に現れ、家族を癒し、突如、あの月に帰って行った。

満月が巡ってくるたびに、ペコを思い出し、ペコの残像に苦しめられるのだった。


月のうさぎの由来

今は亡き夫の実家が寺なので、説話を聴く機会が多い。

福の使いともいわれた「月のうさぎの由来」は、インドの説法仏話「ジャータカ神話」の物語である。

ジャータカ神話は、ブッダの物語を集めて紀元前にできたもので、日本にも伝わってきた。「今昔物語」や各地の民話となっていて、次のような物語がおさめられている。

うさぎが、お釈迦様の前世の姿だったというはなしである。

今は昔、天竺(インド)でうさぎ、キツネ、サルが一緒に暮らしていた。三匹は菩薩の道を行こうと毎日修行し、お互いを実の親や兄弟のように敬いあっていた。そんな三匹の様子を見ていた帝釈天(たいしゃくてん)という神様がその行いに感心し、本当に仏の心をもっているのか、試そうと考えた。

そこで老人に変身して三匹のもとを訪ね、「貧しく身寄りもない自分を養ってほしい」といった。三匹はその申し出を快く受け入れ、老人のために食べ物を探す。

サルは木の実や果物を、キツネは魚をとってきた。

ところが、うさぎは山の中を懸命に探しても老人が食べるものを見つけることができない。

うさぎは、「野山は危険がいっぱいだ。このままでは食べ物が見つからないばかりか、自分は人や獣に捕まり食べられてしまう」と考える。そしてある日、「食事を探してくるので火をおこしてほしい」といった。

サルとキツネが火をおこすと、うさぎは自分自身を食べてもらおうと火の中へ飛び込み死んでしまう。

すると帝釈天は元の姿に戻り、うさぎの慈悲深い行動を全ての生き物に見せるため、その姿を月の中に映した。

そして、このうさぎこそが、お釈迦様の前生の姿だったいわれている。

今も月の中にいるのはこのうさぎで、月の表面の雲のようなものは、うさぎが焼け死んだ煙だとも。

今昔物語では、うさぎは死んでしまうが、各地に伝わる物語には別のパターンも存在する。

火は帝釈天が神通力で起こしたもので涼しく、うさぎは死ななかったというもの、帝釈天が生き返らせたというものもある。


クロも又・・・

うさぎの寿命は種類によって異なるが、平均すると六年から八年くらいともいわれている。

短命だったペコの分を、クロには、長生きしてもらおうと、娘共々、手厚く育てた。好物の果物を欲しがるままに与えると、みるみるうちに、ずっしりと重く、メタボになってしまった。

ペコが月に帰った翌年、終の住処を新十津川に求め、まずは、娘夫婦が移り住み、クロのゲージも一回り大きくし、のびのびと暮らせるようにした。

私達夫婦は、北空知に住み、週に二泊だけ泊まり、クロに会いにきた。

忘れられるかと、心配したが、それはなかった。私の姿をみて、犬の様に尻尾を振り、ブツブツと鼻を鳴らし、早くゲージから出たいと、催促するのだった。

知らない人が来ると、足踏みして警戒するというが、それもなかった。

官舎よりは広い、階段ホールにゲージを置く。臭いはそれほど気にならなかった。馴れたのだろう。

娘は、「誰に遠慮はいるものか」と、自由に家の中で遊ばせた。

うさぎは、早朝や夕方に活動的になる。

クロは、夜になると、ゲージから出してもらい、嬉しそうに階段を上り下りしながら、新築したばかりの柱をかじり、仏間の和室の隅の畳の縁もかじったりした。築後二十六年過ぎた今でも、その痕跡がしっかり残っている。畳の隅のかじり跡は、娘がカーペットを敷き、申し訳なさそうに隠していた。

早死にしたペコの分も、楽しませてやりたいという思いが、娘の気持ちのなかにあったのだろう。私も、同様だった。

十勝に住む弟たち夫婦が来て、クロのかじった痕跡を見つけ、目を点にし、「新築なのに。」と呆れ果てたような顔をしていた。

娘はクロを毎日、外の犬用のゲージに入れ、日光浴をさせていた。小型犬用のゲージだが、檻の幅は、室内にあるのよりは広い。

娘が洗濯物を干しに戻った時、クロの姿が忽然と消えていたという。

「うさぎが、遣られているよ!」と、大声で教えてくれたのは、庭仕事をしていた燐家のKさんだった。

クロを追いかけまわしていたのは、近くの廃屋を根城にしている野良猫だった。クロが逃げ回っているのを、見つけ、急いで猫を追い払い、駆けつけてくれたという。

あろうことか、クロは、野良猫に襲われ、首をかまれたのが命取りになり、助からなかったのである。

娘が、電話口で泣いていた。

うさぎは、弱い動物だが、走るのだけは早いはずだ。時速二十㌖以上ともいわれている。なのに、なぜ逃げきることができなかったのか。太り過ぎだったからにちがいない。

「育て方が悪かったのだ。」と、自分を責めてみても、失われた命は、元には戻らない。

家族皆が、クロ、ペコに癒されながら、力を合わせて苦難を乗り越えてきた。かけがえのない、家族の一員だった。

クロもまた、ペコの待つ月に帰って行ってしまった。

ペコが逝ってから、一年しか経っていない。

クロとの不意の別れは、覚悟が出来ていない分だけ、(こた)えたのだった。

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