夢でいいから

誰かに呼ばれた気がしたら、地面に鳥影がさした。見上げると、北へ帰る白鳥の群れだった。

全山が笑う春がやってきたというのに、夫はもういない。

夫の死から四十九日が過ぎた。実家の寺に納骨も終えた。生前「俺の骨はずっと家に置いてくれ」が彼の口癖だったが、それは叶えてやれなかった。

昨年、七十七歳で金婚式の祝いをやった。「今度は八十八歳の米寿まで、二人で頑張ろうね」ちょうど孫も二十歳になる。成人式の振り袖姿をみるのだと、張り切っていたのに・・・。

直接の死因は二度による誤嚥性肺炎だった。糖尿病治療の為の検査入院から始まって、五ヶ月の入院生活だった。一度も家に帰りたいとも言わず、別れの言葉を伝えることもなく、逝ってしまった夫。

大腿部骨折のリハリビで「もうこれ以上頑張れないよう~」といったのが、最後に聞いた夫の声だった。

術後、微熱が続き、それが不気味だった。最初の誤嚥を克服できたので、二度目罹った時も「大丈夫と」、楽観視していた。だが、別れは突然やってきた。三年前、肺ガンのレベルⅣを告げられた。が、転移もなく、雪が溶けたら、「パークゴルフを一緒に」と励ましながら、介護に通った。

夫は、元々頑強な体だった。さして風邪も引かず、元気が取り柄だと、それが自慢のひとだった。

現在、私がこんなに早く取り残されて未亡人になるとは、想定外で戸惑っている。

国は七十五歳からを後期高齢者と位置づけ、保険証も変更になる。日本人の平均寿命が延びて、男女共八十歳を超えた。これからは、無念の死を遂げた夫の分を分けて貰って、生きたい。

「一段落したら、本当の寂しさは、これからやってくる」と、人生の先輩が脅かす。

清沢満之の言葉に「天命に安んじて 人事を尽くす」とあった。~与えられた境遇を肯定的に受け取り、無心に全力で取り組む。自分の仕事、使命を自覚するものは、完全燃焼して必ず輝く。それが仕合わせに通じていくのである~と。

葬儀のあとの諸々で、夢をみている暇もない。

だが、たまには、「おい、おまえ、元気でやってるか」と、夢でいいから会いに来て欲しい。

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