私が育った家は古くて、居間には薪ストーブがあり、お風呂は石炭でした。物心付いた頃にはすでに灯油ストーブになっていて、あまり記憶は残っていませんが、薪ストーブの小窓から炎が見えて、それがまた暖かいんですよね。その頃は新しい家や電化製品に憧れましたが、昔のライフスタイルはシンプルで理に適っていたんだな~と思います。今では電気が止まったら何もできなくなるし、情報は溢れ、ものすごく複雑になっていると思います。便利な時代になって、本来の生きる力が弱まっているような気がしてなりません。何事にも表と裏があるものです。
私が山を好きになったのは、目標がシンプルでハッキリしているからだと思います。登って下りるだけですが、山頂までの道は決して平坦ではなく、山あり谷あり沢ありで「何でこんな道歩かなきゃいけないのさ」というぐらい大変なこともありますが、それでも美しい景色と澄んだ空気の大自然の中にいると、感覚が研ぎ澄まされて、本来の力を取り戻せるような気がします。まだ命の危険を感じるほどの経験はありませんが、そういう場面にあった時は、それまでの経験や知恵が役に立つのでしょう。
大きな山には雪が積もってきたし、熊の出没情報も増えてきたので、お山を徘徊する日々も終わりましたが、そのうち、山の麓でロクロ挽くというライフスタイルに変わっているかもしれません。
40歳になったら料理に目覚める予定なので、あとちょっとです。同じ素材でも調理の仕方によって、結果が変わるというのはすごいことですね。生きるということは食べることなので、どうせ食べるなら美味しいものを食べた方がいいに決まってるしね。つーか、料理に目覚める兆しがないんですが…(笑)
器も料理の一部です。器が素敵だとやっぱり美味しそうに見えますから。だから器作りも大事です。
放置したままの器たちがどうなっているかと恐る恐る陶芸教室にやってきましたが、実に1ヶ月半ぶりになります。
陶芸教室のいいところは、作品の管理をしてくれるところですね。ロクロ成形した作品がたくさんあったんですけど、多少固くなっていたましたが、水に潜らせて少し放置しておけば、まだまだ削れるレベルです。マグに関しては、それなりに形がよいものを5点残しておきました。安定感のある末広がりなマグを作りたいな~と思ってるんですけど、これが意外と難しいんですよ。取っ手を付けた後は、本体と取っ手の粘土の乾燥具合が違うので、発泡スチロールやビニールなどで覆い、じっくりと乾燥させた方がいいと思います。
マグは個性的なものが好まれるので、またヘンテコなイラスト描こうかな。(笑)
大きくて平らなお皿に挑戦していましたが、こちらは削りも順調に進み、ロスが出なくて良かったです。七寸→八寸→九寸という具合に、少しずつ大きいものが挽けるようになってきました。技術的にはまだまだなので、一つずつ大きさもフォルムも違います。
ひっくり返すとこんな感じです。いたって普通なので、市販されているものよりちょっぴり高台の高さを意識しています。
一番大きいお皿のサイズを測ってみたところ30cmでした。成形のときは31cmあったので、乾燥の過程で1cmほど縮みました。まぁ、私はかなりアバウトなので、ホントかどうかはわかりませんが。それでも、この大きさが挽けたのは初めてなんですよ。焼き上がるとさらに縮むので、まだ小さくなりますが、これぐらいのサイズが安定して挽けるようになりたいですね。
お次は、本体と取っ手を削り、家に持ち帰って合体させようと思ったのに、何もしなかった「納豆鉢」です。どちらもカチカチになっていたので、接着が難しかったんですが、接着部分に細い紐を使って、こちょこちょと繋ぎ合わせました。取っ手部分は空洞なんですが、そのまま焼くと破裂するかもしれないので、小さい穴を開けてあります。今まで片口タイプのものに取っ手を付けるときは、右手で取っ手を持つことを意識してつけていたんですが、今回は左手で取っ手を持つようにしました。納豆を入れて、取っ手を左手で持ち、箸を右手で持って掻き混ぜるためです。つーか、右利き用と左利き用の2種類ずつ作ればよかったかな。(^^ゞ
素焼きが終わった器たちも沢山あります。湯呑み1個、マグ3個、カップ&ソーサー5個、お茶碗4個、スープカップ5個、お皿が3枚ありました。特に行き先が決まっているわけでもないので、のんびり作業します。落款部分に赤い絵の具を塗り、さらに透明の釉薬を筆で塗り、その部分が抜けるように撥水剤を塗っておきました。
湯呑みは「呉須」と「白釉」で、お皿は「呉須」と「白萩」を使いました。白萩を他の釉薬と組み合わせると流れるんですが、単体ならばあまり意味はないのかな? まぁ、やってみましょう。
まだまだ残っているけど、焼き上がると精算が待っているので、じっくりと作業しましょう。冬山の準備で、これからは金欠が続くので。(^^ゞ