人生の残り時間

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父が亡くなったのは2009年8月でした。40代後半で糖尿病と宣告されていたと思いますが、若い頃から脂っこいものや甘いものが好きで、病気を宣告されてからも食べるものをセーブしているようには見えなかったです。いい大人に周りがとやかく言っても、喧嘩になってお互いに気分が悪くなるだけだし、自分で買い物に行けるうちは好きなようにしていたと思います。まだ62歳という若さでしたが、糖尿病からくるあらゆる合併症は、長い年月をかけながら、ゆっくりと体を蝕んでいき、亡くなる1年前には80歳過ぎに見えるほど衰弱していました。

若い頃からエンジンのついた乗り物が好きで、車が大好きでした。一度走った道は全て覚えていて、暇さえあれば、母と一緒にあちこちに出かけていましたが、車から降りて辺りを散策するということはほとんどなかったように思います。還暦のお祝いをした時には、すでに杖なしでは歩けない状態で、仕事もまともに出来なくなっていました。

当時の記憶はすでに曖昧になってきましたが、最期の1年間は、自分でトイレに行くこともできなくなり、入退院を繰り返し、貯蓄のほとんどは医療費に消えていきました。

私は昔から父が苦手で、何かお願いをするときも母を通して話しをするような可愛げのない娘でしたが、それは自立してからもあまり変わらなくて、入院中にお見舞いに行くこともほとんどなかったです。母がSOSを出した時だけ、見に行くといった感じでした。

父は亡くなる少し前に「死にたくない」と言いました。

それならば、もっと早い段階から、自分の体をいたわり、元気で長生きするための努力をして欲しかったと思いました。先天性の糖尿病ではなかったので、生活習慣を改善すれば病気の進行を抑えられたと思います。

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父が亡くなった時、私は35歳でしたが、自分の人生の残り時間について真剣に考えるようになりました。父のDNAを受け継いでいるので、私も父に似た面が所々あります。自分がこの先、いつ病気になったり、事故に遭ったりするかはわからないけれど、もし、明日死んだとしても、それまでの人生に悔いが残らないように毎日を大切に生きていこうと思い、父が歩けなくなった60歳までの目標を立てるようになりました。

やりたいことをやり、見たいものを見て、自分に残された時間を大切にし、最期の日まで自分の意志と足で歩くこと。

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人との繋がりを大切にして、自分を必要としてくれる人には出来るだけのことをして、少しでもマシな人間になりたいと思いました。

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ちょうどその年に登山に連れていってもらい、翌年から徐々に山にハマっていくのですが、山頂を目指しながら色々な山道をトボトボ歩くことで、今までぼんやり感じていたことがスッキリと考えられるようになりました。

必要最低限の装備を背負い、自分の足で歩き、そして、人様に迷惑を掛けずに下山して、家まで帰ること。

ただそれだけのことですが、思考がシンプルになり、目標を達成するまでのプロセスを具体的に考えられるようになりました。

5年前に立てた目標は、当時はまだざっくりとしたものでしたが、今ではそれが少しずつ変化しながらも、だんだん明確になってきたように思います。

40歳までに個展を開くこと。

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45歳までにキリマンジャロに登ること。

そして、本を出すこと。

私の山行を楽しみにしてくれる人の為でもあるし、何よりも自分の歩いた道と自分の目で見た景色を自分のために残したいと思っています。

私は活字と数字にとても弱いけれど、短い言葉ならば、誰でも理解できると思うし、私にしか表現できない世界があると思うから。

目標までの時間と今現在の自分のスキルを把握して、逆算すると、これから自分が何をするべきで、どんなスキルが必要かが見えてきます。

今日で41歳になりました。私を産んでくれて、のびのびと育ててくれた両親に感謝しています。

父は私にとても大切なことを教えてくれたのだと思います。

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