趣味で陶芸を始める人は多いと思います。私もデジタル生活に疲れていた体にスーッと粘土が入り込んでいき、今年で9年目に入ったと思います。最初の2年目ぐらいはやること全てが新鮮で、楽しくて仕方なかった時期がありますが、その後、ロクロを始めてからは「ロクロを挽く」という行為がとても好きになりました。自分のスタイルが出せるようになるとプロ転向する人もいますが、私はそんな予定もなく、夏山と冬山の境目に粘土いじりをするというかなり緩いスタイルでやっています。こんなスタイルでも来年には10周年になるんですね。進歩はしていなくても、10年続けるってなかなかできないと思うので、お祝いパーティでもやろうかな~と思いました。
使いやすくブレンドされた粘土と釉薬、そして、便利な道具と窯。お膳立てされた環境の中でも迷走を続けていますが、これまで身に付けた知識や技術は他の分野で生きてくることもあり、陶芸を続けていて良かったな~と思うことも多いです。モノ作りの素晴らしさや苦労がよくわかるようになりました。
「粘土」と「釉薬」と「窯」を変えると、まるで違った風合いの作品になります。今は粘土の塊が形を変え、高温で燃焼して器として焼き上がっていく「燃焼の仕組み」について、興味を持つようになりました。
中学校ぐらいの授業で「酸化」や「還元」というのを習ったと思いますが、国語も数学も苦手な私は、理科も苦手だったし、そもそも興味もなかったので、そんなこと知らずにノウノウと生きてきたんです。
焼き物の世界はとても奥が深く、同じ粘土と同じ釉薬を使っても、燃焼方法の違いによって、まるで雰囲気の違う作品が出来上がります。この辺りに興味を持ち出すと無限ループにはまりますが、これがとても面白いのです。タイミングを見計らって還元をかけたり、酸化に戻したり、窯と駆け引きをする人もいるようです。
今回、2回目になりますが、旭川の「一路窯」さんの灯油窯を貸し切って本焼きをしています。前回は初めてだったので、ほとんどやってもらいましたが、今度は窯詰め~窯焚き~窯出しまで自分でやることにしました。とはいっても、かなりの部分はサポートしてもらってますけどね。
火力と酸素の量を調整しながら、300度まではゆっくり温度を上げていきます。
通常は「酸化」の状態で焚きますが、950度を越えたら、酸素の量を減らして「還元」にしていきます。火入れから6時間ほど経過したところです。
灯油窯は上と下の温度に差があるので、この差がなくなるように、窯の後ろの扉を開けて窯圧をかけていきます。たしか、そんなことを説明してくれたと思います。
「酸化焼成」のときは、覗き穴から炎は出てきません。
酸素の量を減らして窯の中を酸欠状態にすると、炎が出てきて、黒いススが上がっていきます。これが「還元焼成」です。
酸素の量を調整して、青白い炎になるようにしたのが、酸化と還元の中間にあたる「中性炎」です。今回はこの「中性炎」でキープするようにしました。
ご主人も奥さんもほとんど寝ていなかったので、途中、交代で仮眠を取っていきました。目標温度の「1,250度」に達したのは、15時15分で、ちょうど火入れから10時間経ったところでした。私は仮眠中でした。(^^ゞ
それから、1,230度前後で4時間ねらしました。このねらし時間が長いと粘土の色が表面に出てくるそうです。
19時に窯の中のススなどを払うために「酸化焼成」に戻しました。
19時15分にスイッチを切り、終了しました。ちょうど14時間の窯焚きとなりました。
後ろの蓋を閉めておきます。
温度が急激に下がらないように煙突を塞いでおきます。
覗き穴から中の様子が見えますが、まだ赤々としていて、どうなっているかはわかりません。
今回の焼成記録です。定期的に調べているわけではないので、グラフの間隔が一定じゃないんですが。(^^ゞ
窯出しは3日後の予定でしたが、予定よりも早く窯の温度が下がってきたので、翌日に窯出し終了しました。予想通りのもあったし、予想以上のもあったし、玉砕したものもありましたが、今回の窯焚きはとてもいい経験になりました。
陶芸教室やサークルでは、完全にお任せしていたので、何度で焼いているのかなんて、気にしたことはなかったんです。自分で温度をコントロールしていくのって、とても面白いです。9年目にして陶芸の基本がやっとわかってきたみたいです。おそっ。