GW後半からマレーシアの「キナバル山」へ行ってきましたが、久々の海外で感じたことが色々あったので、順不同で書いていきたいと思います。最後に海外へ行ったのは2007年末だったので、実に9年ぶりになります。登山を始めてから北海道の雲の上の世界を歩くのが楽しかったこともあり、海外へ行きたいという気持ちも薄れていました。何より、先立つものがないというのが大きな理由ですが。(^^ゞ
東南アジアに行ったのは、今回が初めてでした。キナバル山がある「キナバル国立公園」は世界3番目の広さのボルネオ島の北部「サバ州」にあります。気候は赤道に近い熱帯雨林気候になるので、1年を通して寒暖の差が少ないようです。雨季(11月~3月)と乾季(4月~10月)の2シーズンに分かれていますが、雨季でも一日中雨が降ることは少なく、乾季でも夕方には雨が降ることが多いようです。
特に5月は天気が安定していることもあり、登山者が多く訪れるようです。私が滞在したのは5月8日~12日までの5日間でしたが、気温は連日33℃前後あり、湿度はムンムンでした。日中はずっと晴れていましたが、夕方にサッと雨が降ることもありました。
キナバル山は2015年6月の地震で、ロバの耳と呼ばれる岩が崩れ落ち、登山道や山小屋が破壊され、登山者とガイドを合わせて18名の方が亡くなりました。この地震の影響でしばらく入山規制されていましたが、懸命な復旧作業により、半年後の2015年12月に再開されました。世界遺産でもあるキナバル国立公園はマレーシアの重要な観光資源ですが、震災後は観光客が減り、未だに就労の機会を失ったままの人もいるようです。
マレーシアに着いて感じたことは、英語を話せる人がとても多いということでした。キナバル山は山小屋の予約と登山ガイドの同行が義務付けられていますが、ガイドのほとんどは英語を話していたと思います。私のガイドをしてくれた「ジェームス」はマレー語と英語の他に日本語も話せるので、日本人のガイドになることも多いようで、日本人のことをとても気に入っているようでした。彼はガイド歴20年以上のベテランで、レスキュー隊のメンバーにもなっていて、これから登る山の説明や家族の写真などたくさん見せてくれました。
彼の片言の日本語と私の片言の英語でコミュニケーションを取りながら色々な話をしました。花にも詳しくて、とてもいいガイドだったと思います。
登山道を歩いていると、山小屋で使う物資を運ぶポーターがとても多いことに驚きました。日本では歩荷(ぼっか)さんといいますが、30℃を越える炎天下の中、50~60kgほどの荷を担いで山小屋までの6kmの道のりをペットボトル1本持ち、ひたすら歩いていくのです。日本ではヘリを使って物資を運ぶことも多いですが、ここは全てポーターが運ぶそうです。山小屋利用を含めた入山料が高いことも頷けます。
マレーシアの賃金を調べてみましたが、大卒初任給で2,500RM(約65,000円)ほどのようですが、それを考えると登山ガイドの賃金は決して高くないと思います。ポーターとなればさらに安いでしょう。休憩の時にポーターと少し話しをしましたが、英語が全く分からないようでした。山小屋までの道のりは気温も湿度も高く、樹林帯の中をひたすら登る感じで、見晴らしがいいわけでもありません。英語が話せれば、もっと違う職業を選べたかもしれません。女性のポーターも子供のポーターもいました。
大きなパネルを運んでいるポーターも多かったです。これは山小屋の補修に使うようです。一番大きなものは水を入れるタンクでした。
重い荷を背負っている彼等の姿を見ているととても複雑な気持ちになりました。大勢の登山者が入れば、もっと沢山の荷物を運ばなければならないのです。しかし、それが彼らの報酬に繋がるのです。
予備日を1日設けていたので、下山した翌日はプライベートビーチへ行くツアーを予約していました。しかし、前日にキャンセルの連絡が入って、ノープランになりました。仕方がないので、近くのショッピングセンターへマッサージに行くことにしました。早朝でもかなり暑いですが、午前10時となると炎天下です。黙っていても汗がジリジリ流れていきます。湿度の高さからかレンズが曇っていますね。
ホテルから10分ほど歩くと、目的のショッピングセンターがありました。
マレーシアのマッサージはとても安く、客引きも多いようです。だいたい60分で1,500円ぐらいかな。ここで全身マッサージをお願いしましたが、それはもうひどい筋肉痛だったので、私が悶絶する様子を見て笑っていました。施術してくれた女性がやたらと「ゲップ」をするというクチコミがありましたが、ホントでした。(^^ゞ
その後、海沿いに並ぶマーケットを見ながら、せっかくだから離島へ行くボートがないか調べてみようと、船着場(ジェッセルトンポイント)へ向かうことにしました。
干物、ナマモノ、雑貨など、あらゆるお店が並んでいました。縫製は雑ですが、デザインは可愛いです。
皮製の小銭入れを2つだけ買いました。
マレーシアのフルーツは美味しいのかと思いきや、糖度はそれほど高くなくて、日本のものの方が美味しいと思いました。マンゴーはとても安いですが、青いマンゴーは渋くて美味しくなかったです。
船着場に近づくと、船に乗らないかと色んな人が声を掛けてきます。
その時、必死で話しかけてきたのが「チョーイ」でした。若くて可愛い男の子だったので、金額の交渉をしながら色々な話をしました。(^^ゞ
この日で4日目になっていたので、耳が少し英語に慣れてきたこともあり、会話はそれなりに出来るようになっていましたが、色々話しているうちに「日本人は英語が話せないから、全然話を聞いてくれない」と嘆いていました。客引きをする人は他にもたくさんいましたが、彼等は客を取る事に必死すぎて、まくし立てるように話をしてきます。それが日本人にとっては威圧的に感じるのかもしれません。中途半端な日本語を使うのも怪しく感じるポイントだと思います。
15分ほどで行ける離島はいくつかあって、そこで2~3時間滞在できるようなプランを提案してくれました。ラミネートされたパンフレットを見ながら内容を交渉します。RM200(約5,200円)で交渉成立です。
水と行動食は常に持ち歩いていますが、チョーイが水の心配をしてくれたので、ミネラルウォーターを買いに行き、ボートの到着を待ちました。どんなボートかと心配しましたが、案外立派でした。
私は泳げないし、極度の水恐怖症なので、すぐにライフジャケットをもらいました。写真を撮ってくれましたが、金持ちのマダムみたいだな。(笑)
10分ほどでマムティック島に着きました。白い砂浜で海の色がとてもキレイで、観光客が沢山いました。最初に交渉したときは、マムティック島で2~3時間滞在するという話でしたが、人の多いビーチで過ごすよりもボートに乗っていた方が気持ちが良さそうなので、ドライバーに島巡りに変更してもらえないかと頼んでみました。
観光客の滞在を待つボートが沢山待機していました。
ドライバーの名前は忘れてしまいましたが、彼もいい人でした。ずっと同じ場所で待っているよりも、近くの島をぐるっと回って戻るルートは、彼らにとっても悪い話ではないでしょう。プラン変更を承諾してくれて、島の前をゆっくり移動しながら次の島へ移動します。
すぐ近くにある少し大きなマヌカン島に着きました。すぐ近くなのに、マムティック島とは海の色が違っていました。
ゆっくりと島を回り、船着場へ戻るのかと思っていたら、ドライバーから「ビレッジを見に行くか?」と提案されました。ビレッジというのが何のことか分からなかったけれど、その提案に乗ることにしました。ボートは進路を変えてかなりのスピードで波に乗っていきます。
すると、何と言うことでしょう。海の上に家が建っているのです。ものすご~く驚きました。「電気や水はどうしてるの?」「水位は上がらないの?」「何で陸上に家を建てないの?」と、あらゆる疑問が沸いてきました。私の反応があまりに強烈だったのか、チョーイとドライバーは大笑いしていました。
大人も子供もみんな手を振ってくれます。そして「ワンリンギ!ワンリンギ!」と子供たちは手を伸ばしてくるのです。マレーシアの通貨はRM(リンギット)で、1RMが26円ほどですが、子供たちは手を伸ばしてお金をせがんでくるのです。
海に飛び込んで、パフォーマンスを見せてくれる子供たちもいました。しかし、彼らに必要なのは目先のお金ではなく「教育」でしょう。
決して裕福な暮らしには見えませんが、子供たちの目はキラキラ輝いていて、元気いっぱいに遊んでいる姿も印象に残りました。日本ではいじめや進学で悩み、自らの命まで絶ってしまう子供もいるので「教育=幸せ」ではないと思いますが「仕事の選択肢を広げる」という意味では、やはり教育というのは大事だと思います。
肌の色や住んでいる国が違っても、子供の持つ可能性は計り知れないものがあります。健康で、幸せに育って欲しいです。
新築中の家もありました。水位が上がることはないようですが「もし水位が上がっても、彼らはグッドスイマーだから問題ないよ」と話していました。(^^ゞ
ゆっくりとビレッジを過ぎて、船着場に戻っていきます。1時間ほどの島巡りでしたが、思わぬプライベートツアーができて、リゾート気分を楽しめました。
ルートはこんな感じだったと思います。船着場から、マムティック島→マヌカン島→ガヤ島を回り戻ってきました。
その後、チョーイは次の客を取るのかと思いきや、私を滞在先のホテルまで送り届けてくれるというのです。ちょうどお腹が空いてきたので、近くのショッピングセンターのおススメのお店に連れて行ってくれました。彼は私よりも20歳も年下ですが、所々で紳士的な対応をするなと感じることがありました。椅子を引いてくれたりとか、些細なことですが、普段からそれが身に付いているんだろうなという感じでした。
チョーイが案内してくれたお店は、ビュッフェスタイルになっていて、好きなものを皿に取っていき、お皿の内容を見て金額を書いたメモをくれるというざっくり勘定のお店でした。見た目はグロイですが、揚げた魚、チキン(ソースが美味しかった)、豆腐、野菜、ライスです。大衆食堂やフードコートで食べる食事はとても安くて、飲み物を付けても300円ぐらいです。
マレーシア滞在中に食べたものは、ものすごく美味しいわけでもないけれど、美味しくなくもない、という微妙なラインのものばかりでした。甘くもなく、辛くもなく、冷たくもなく、熱くもなく、ダシが効いてないというか、何か一味足りないという感じでしたが、ここは美味しかったです。お店のスタッフに日本から来たというと喜んでくれたので、日本人の印象は悪くないようですね。
私が食べているのを待つ間、チョーイに前日に登ったキナバル山の写真やスマホに入れてある北海道の写真を見せてあげたところ、見るもの全てに感動していました。マレーシア人ならば、キナバル山の入山料が安いのですが、これまでに一度も登ったことはないようです。登山費用がどれぐらいかかるか、日本からのチケットがどのぐらいか、ホテルの滞在費はどのぐらいかなど、金銭的なことを沢山聞かれましたが、金額を話すと驚いていました。富裕層でなければ、海外旅行は夢のまた夢なのでしょう。
同じフロアに私の大好きな「たこ焼き屋」がありましたが、日本人が作っているわけでもないし、美味しそうでもなかったです。しかも、安くもなかったです。(^^ゞ
ホテルまでは徒歩10分ほどです。私が一人で来ていることがとても不思議だったようで「友達は居ないの?」と心配してくれましたが、好き勝手に動けるので、一人旅は気楽でいいもんです。facebookで繋がっているので、また行く機会があれば、彼にガイドをお願いしようと思います。
滞在先のホテルは、比較的新しく、エアポートバスの停留所が目の前にある「ドリームテルコタキナバル」を選びました。1泊4,000円ほどですが、ホテルのランクとしては平均的なところだと思います。
バックパッカー向けの安宿ならば1,000円~、プライベートビーチがあるようなリゾートホテルならば20,000円ほどでしょうか。観光地だけあって、ホテルの選択肢は多いです。
滞在中の情報収集に関してはスマホ頼りでしたが、これがとても役に立ちました。Wi-fiが繋がるので、近況をfacebookにアップしたりしていましたが、バッテリーの消耗が激しいので、モバイルバッテリーをフロントで充電してもらいました。コンセントのタイプは国によって違いますが、USBは世界共通ですからね。
翌朝、早朝のフライトで帰国するので、タクシーで空港まで行かなければなりません。公共バスならば、トラブルはほとんどないと思いますが、タクシーとなると少し抵抗がありますね。ぼったくられるんじゃないかとか、変な所に連れて行かれるんじゃないかとかね。実際、治安の悪い国では気を付けた方がいいと思います。
チェックアウトの時にフロントで料金を確認したところ、ホテルの前に停まっているタクシーを利用する場合、料金は決まっているようで、ドライバーに聞いても同じ金額でした。10kmほどの距離で、45RM(約1,170円)でした。タクシードライバーは、訛りの強い英語を話す人が多かったように思います。
初めての東南アジア。決して住みたいとは思わないけど、たまに遊びに行くのにはいいかも。
帰りの飛行機から見たビレッジ。ここに住む人は雪の中で暮らす私たちを見たら驚くんだろうな。(^^ゞ
北海道の観光地に行くと、英語を話せる人はほとんどいないように思うし、英語表記の看板などとても少ないですね。もっと海外からの旅行者を受け入れたいのなら、英語が話せないといけないでしょう。
外国に行って、再確認することといえば、北海道の自然の美しさと食べ物の美味しさです。ずっと先の話ですが、将来的には北海道で登山ガイドができるようになりたいと思っていますが、今回の旅行を通じて、外国人も相手に出来るといいなと思いました。
北海道の美しさを世界中の人に見てもらいたいし、それを自分の言葉で伝えられるようになりたいと思いました。
関連レコ
キナバル山トレッキングに関しては、ヤマレコにアップ済みです。とても長いですが、詳細に記録しています。興味のある方はどうぞ。