9月29日(火)曇りのち雨
先週末は雨竜のレトロコミュニティ「豆電球」さんの《マメ市》に出展しましたが、私の作品を見に来てくれた方もいました。
かつて体育館だったという建物の中には、古い家具や食器、道具たちが所狭しと並んでいます。
好きな場所を選んでくださいと言われ、私は迷わず「昭和の台所」のような一角へ。
見渡せば、気が遠くなるほどのモノ、モノ、モノ。
人間は、こんなにもたくさんのモノを作ってきたのだなぁ、と圧倒されました。
けれど、ここにあるものは、誰かが一度は手放したものです。
昔はきっと、一つのモノを作るために、たくさんの時間と手間が必要でした。
やがて工業化が進み、大量に作れるようになり、モノは安く、簡単に手に入るようになりました。
便利で豊かな時代になった一方で、
壊れたら捨てる。
飽きたら手放す。
そして、また新しいものを買う。
そんなことを繰り返しているうちに、私たちはいつの間にか、モノそのものではなく、「新しいものを手に入れること」に豊かさを感じるようになったのかもしれません。
作り手として、無数のモノに囲まれながら、そんなことを考えていました。
カムエクで割れてしまったオカリナの金継ぎが、先日ようやく終わりました。
陶器は土から生まれ、火によって硬くなります。
けれど、ほんの一瞬の衝撃で粉々になるほど脆いものでもあります。
それでも、割れたら終わりではありません。
欠片を拾い、つなぎ、傷跡に金を施す。
そうすると以前とは違う、新しい表情が生まれます。
新品に戻るわけではない。
傷も消えない。
けれど、その傷ごと大切に使い続けることはできます。
その日の夜は、中学時代の同級生たちと久しぶりの女子会でした。
メンバーのほとんどは半世紀近い付き合いになるのです。
一次会は同級生のお店「おおげつ」。
二次会は元同僚のお店「REDDOOR」。
閉店するお店も増えていく中で、どちらも地元で長く営業を続けています。
モノも、お店も、人との縁も。
新しいものを次々と求めることだけが、豊かさではないのでしょう。
直しながら使うこと。
長く続けること。
そして、大切なものを応援し続けること。
豆電球に並ぶ無数のモノを眺めながら、これから自分は、何を作り、何を残していきたいのだろう。
そんなことを考えた一日でした。
コメント