何をしているとき、自分は生きていると感じるのか

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9月4日(金)曇り

日の入りが早くなり、朝も涼しくなってきました。

777段のズリ山トレーニングも朝活へシフトしていますが、展望台に着いたら鐘を鳴らし、オカリナで一曲吹く。

それが習慣になりました。

ズリ山に登り始めて、今年でちょうど10年です。
最初は涼しい季節だけだったのが、やがて平日の日課となり、週末に山へ向かうための基礎体力になりました。

「習慣の力」を甘く見てはいけません。

昨日は朝活ができず、仕事帰りに登りましたが、18時はもう薄暗く、空には不穏な雲。

ひと雨きそうだなと思っていたら、その後、猛烈な雷雨になりました。

絵に描いたような稲妻が走り、
空が破れたようでした。

最近「大気が不安定」という言葉をよく耳にします。

天気だけではなく、私たちが生きている時代そのものも、どこか不安定なのかもしれません。

夜は激しい雨音を聞きながら、ロクロを挽きました。

「私は、何のためにこんなことをしているのだろう」

イーロン・マスクは、これからAIが人間の知能を大きく超え、人型ロボットが社会に普及し、やがて「働くことさえ任意になる」という未来像を語っています。

AIやロボットが人間より賢く、正確に働く時代はすぐそこまで来ています。

そうなったとき、

「人間は何のために生きるのか」

という問いと向き合うでしょう。

AIなら、私より美しい器をデザインするかもしれない。
ロボットなら、同じ器を何千個も正確に作れるでしょう。

それでも私は、土に触れていたいし、自分の足で山に登り、変わる景色を自分の目で見たい。

効率だけを考えれば、どれも必要のないことです。

別にやらなくてもいいことを、やりたいと思う気持ち。

そこに人間の豊かさがあるのではないでしょうか。

AIはすぐに答えを出してくれる。

でも、「この山に登りたい」「この土に触れたい」「この人に会いたい」という心まで、代わりに生きてくれるわけではありません。

未来に必要なのは、AIに負けない人間になることではなく、

AIには生きられない、自分の人生を生きること。

空模様も、社会も、未来も不安定です。

だからこそ、

「何をしているとき、自分は生きていると感じるのか」

幸せの定義は人それぞれです。

その答えを持っている人は、きっと強いと思います。

さぁ、今日もまた一歩。

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