目標を失った時

2016年になり、すでに1ヶ月が経とうとしています。毎年作る気まぐれな年賀状も全然作る気にならず、もらった方には返事を出すようにしてるんですけど、ここまで来てしまいました。でも、そのうち出すかもしれませんが・・・(^^ゞ

ブログの更新が全然ないので、私の動向を心配した方からは連絡が来ることも多くなりました。ウィンタースポーツのシーズンなので、あちこち出かけ、体は元気にやっていますが、昨年11月から悲しい出来事がいくつかありました。私自身のことではないのですが、体の中の奥深いところに大きな穴が空いたような感じがしました。

ここ数年は、年明けに目標を決めるようにしていますが、それが決まらず、つい最近まで悶々としていました。やっと気持ちの整理がついてきたので、少しずつ書いていこうと思います。

昨年11月のことですが、facebookに投稿した内容です。

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山の素晴らしさを教えてくれたご夫婦(ご主人)から、喪中欠礼のハガキが届きました。そこには10日ほど前に奥様が亡くなったとありました。

奥様はパソコン教室に習いに来てくれていた生徒さんでした。趣味の登山の話を沢山してくれ、興味を持った私を雨竜沼に連れて行ってくれたのが、6年前のことでした。

晩秋で、朝から曇天でした。花もなく、雨にも打たれ、正直登山の何がいいのか分かりませんでした。

75歳を過ぎてもバリバリ働くご主人は、年齢を感じさせないほどの健脚でした。ご主人についていこうと勢いだけで登っていく私。それを気にせずマイペースを貫く奥様。

楽しそうに色んな山の話をしてくれて、展望台では便利な道具を使ってお湯を沸かし始め、カップラーメンを作ってくれました。こんなに美味しいカップラーメンは初めてだったかもしれません。

ご夫婦はその時に私が撮った写真をとても喜んでくれて、スクリーンセーバーにして、いつも眺めていました。お友達が写真を褒めてくれると嬉しそうに話していました。

翌年、ご主人は退職し、故郷の栃木に帰りました。「栃木に来たら、山を案内するよ」と言ってくれましたが、結局、二度目の登山をすることはありませんでした。

それからというもの、気まぐれで出すぶっきらぼうな年賀状には、メッセージも書かずに、その年に登った山の写真を沢山並べるようになりました。

出逢いはちょうどいいタイミングでやってきます。あの時、山に登っていなければ、今の私はもっと違っていたと思います。0と1の無機質で小さな世界から抜けられず、心を病んでいたかもしれません。

登山はとてもシンプルです。山に登って下りるだけ。しかし、ピークまでには色んな困難があり、それはまるで人生の縮図のようで、乗り越えた時は何かを成し遂げた時と同じような達成感と高揚感に包まれます。

そう遠くない将来、キリマンジャロに登る計画があります。無事に帰ってきたら、今まで登った山の記録をまとめた本を作り、ご夫婦に贈ることを目標にしていました。具体的な目標を立てれば、具体的な計画を立てられ、具体的に動けるようになります。

予定よりも3年前倒しで行けそうな目処が立ってきた矢先の訃報だったので、かなりショックを受けました。

奥様は73歳になっていたようです。ご主人はもっと年上なので、時間はあまり残っていないことは感じていましたが、別れがこんなにもあっけないなんて。

会いたい人に会い、話したい人と話し、魂が求めるものを諦めず、自分と大切な人を幸せにしてください。それ以外は二の次でもいいと思うのです。

自然が作り出した素晴らしい世界を教えてくれ、人生を変えるきっかけをくれたご夫婦に感謝しています。

あなたの人生はどんな山でしたか?

安らかに眠って下さい。

ありがとう。

2009100449s