沼ノ原で大きな古時計

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快晴の週末となり、北海道の夏山シーズンもいよいよ本格的にスタートしました。

今年の北海道は、ここ数年のような猛暑にはならないという予報も出ています。平地でも朝晩はひんやりする日があり、大雪山系の山々には、まだスキーができるほど多くの雪渓が残っています。

山を歩く者にとって、それは水を取れる時期が長くなるということでもあります。

近年は、8月になると取水できるポイントがかなり限られていましたが、今年は比較的長く水を得られるかもしれません。

その一方で、日本各地で続く地震や、ヨーロッパの熱波など、気になるニュースも増えています。

そして北海道の山を歩く人にとって、もうひとつ気になるのが、ヒグマとの遭遇問題でしょう。

「山に行く=熊に遭う」

そんな図式ができあがっている人も、少なくないような気がします。

けれど実際には、至近距離で遭遇する確率は、それほど高いものではないと私は思っています。

私自身、これまで500回ほど山に入っていますが、比較的近い距離で遭遇したのは1回。遠目に姿を見たのが2回ほどです。

もちろん、姿は見えなくても、バキバキと笹をなぎ倒す音を聞いたり、強い獣臭を感じたりしたことは何度かあります。

絶対に遭わないとは言えません。
けれど、山に入れば必ず遭うというものでもありません。

そもそも、私たちの方が彼らの住処にお邪魔しているのです。

山に入る以上、そこに野生動物が暮らしていることを忘れず、ある程度のリスクを理解した上で歩かなければならないと思っています。

そして実際のところ、山で行動不能になる原因としては、野生動物との遭遇よりも、自分自身の体力不足や疲労、転倒による怪我などの方が、はるかに身近なリスクではないでしょうか。

それを防ぐためにできることは、やはり普段から身体を動かし、トレーニングを続けること。

そして何より、実際に山に入り、経験を重ねていくことなのだと思います。

一方で、山の中に暮らしている熊と、人里に下りて人間の食べ物の味を覚えてしまった熊とでは、少し事情が違うのでしょう。

一度、人間の生活圏にある食べ物を覚えてしまった個体は、山に返しても、再び人里へ下りてくる可能性が高いと言われています。

人間の暮らしは、めまぐるしい速さで変わり続けています。

けれど、人間以外の動植物の営みは、もっとシンプルなのかもしれません。

生きること。
そして、次の命へつなぐこと。

高山植物が、毎年同じ場所で短い夏を待ち、花を咲かせるように、野生動物もまた、その土地で命をつないでいきます。

山の多い日本では、登山の始まりは信仰登山だったといわれています。

山は、単なる遊びの場所ではなく、畏れ、敬い、祈りを捧げる場所でもありました。

自然の中に人間を超えた何かを感じながら、山に入っていた時代があったのです。

昨年の羅臼岳の事件は、登山者にとっても大きな衝撃であり、本当に痛ましい事故でした。

その前には、大千軒岳でもヒグマの襲撃による死亡事故がありました。

こうした事故が起きるたびに、山と人間、そして野生動物との距離について考えさせられます。

怖がるだけでもなく、軽く考えるのでもなく。

私たちは、彼らの暮らす場所を歩かせてもらっている。

そのことを忘れずに山に入りたいと思っています。

今回、尊敬するハイカーのI_am_Ryoさんに逢うことができました。

過去には一緒に山を歩いたこともありますが、気がつけば、もう10年以上の月日が流れています。

最近ではフルマラソンも驚くようなスピードで走るようになり、もはや私には手も足も届かない存在になっていますが(笑)、本当に素晴らしいハイカーです。

今回は前日から山に入り、トムラウシの南沼でキャンプをされていました。

彼のレコを見ると、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼ばれる大雪山の、息をのむような絶景が伝わってきます。

さらに、ヤマレコで超有名な屈強な3人衆が日帰りで入っていると聞き、下りてくるのを待っていました。

ところが。

私がのんびりオカリナの練習をしている間に、どうやら颯爽と駆け抜けていったようです。

同じ人間なのに、どうしてここまで違うのでしょう(笑)。

颯爽と山を駆け抜ける人がいれば、私はオカリナを吹きながら、のんびりと誰かが下りてくるのを待っている。

山の楽しみ方も、歩く速さも、人それぞれです。

けれど、そんな人間たちの営みとは関係なく、沼ノ原の美しさは、きっと何百年も前から変わらず、ここにあったのでしょう。

笹刈りが入れば、登山道は歩きやすくなります。

歩きやすくなれば、訪れる人も増えていきます。

もちろん、人が増えることが悪いわけではありません。

多くの人がこの景色を知り、美しいと感じることもまた、大切なことだと思います。

それでも、ときどき思うのです。

少し歩きにくくて、
少し遠くて、
簡単にはたどり着けない場所だからこそ、
守られてきた景色もあるのかもしれない、と。

変わっていくものがあります。

変わらなければならないものもあります。

そして、その一方で、
ずっと変わらずにいてほしい景色があります。

私たちが山を楽しむこと。

そこに生きるものたちが、これまでと変わらず命をつないでいくこと。

人間も、動物も、植物も、
それぞれの時間を生きながら、同じ山の中に存在している。

その両方が共に続いていく未来であってほしい。

何百年も変わらずにそこにあった沼ノ原の景色を眺めながら、そんなことを思いました。

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