父の記憶

2月7日(水)曇りのち晴れ

私は菜の花が有名な江部乙という農村地域の米農家で育ちました。お米はもちろん、自分たちで食べる野菜は作っていたし、小さい頃は鶏も何羽か飼っていたので、新鮮な卵を食べていました。

父は肉好きで野菜嫌いでした。芋と南瓜ばかりの幼少期にトラウマがあったようで、葉物野菜を「草」と呼び、食べ物と認識していなかったかもしれません。

特にジンギスカンが好きで、両面をサッと炙ったレア肉を素早く茶碗に乗せ、白いご飯と一緒に頬張る。父が食べ終わるとやっと他の人の順番が回ってくるのです。私はジンギスカンが苦手なのですが、父の反動なのかもしれません。

お酒の席が好きで、母の送迎付きで滝川の繁華街へ飲みに出掛け、いきつけの寿司屋の「折」を手土産に千鳥足で帰ってきました。

エンジンのついた乗り物が大好きで、兼業でタクシーやバスの運転手をしていました。頭の中にナビがあり、一度走った道は記憶していて、暇さえあれば母を連れてドライブに出掛けて、新しい道をインプットしていました。

糖尿病を宣告されたのは40代の頃だったと思いますが、栄養指導を受けても食生活を改善する兆しはありませんでした。

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