戦後79年

8月9日(金)曇り

昨日、午後4時43分ごろ、宮崎県で最大震度6弱を観測する強い地震がありました。気象庁は南海トラフ地震の想定震源域では大規模地震が発生する可能性が普段と比べて相対的に高まっているとして、政府や自治体からの情報に応じた防災対応を取るよう呼びかけています。

今年の元旦は能登半島地震があり、4月には四国で大きな地震がありました。そして、8月に宮崎です。災害に盆も正月もありませんが、大きな地震のサイクルがとても短くなっているように感じます。

北海道は比較的地震が少ないと言われていますが、2018年9月の胆振東部地震では、災害関連死を含めて44人が亡くなったそうです。大規模なブラックアウトを経験しましたが、冬でなかったのが幸いだったと思います。

猛暑やゲリラ豪雨などの異常気象は日本に限ったことではありません。死の谷と呼ばれるアメリカの砂漠地帯のデスバレーでは数日前に53.3度を記録しています。オーバーヒートした地球が悲鳴を上げ、泣き叫んでいるように思えてなりません。

台風も発生していて、お盆にかけて北海道に接近しそうです。外出の際は最新情報をチェックしておきましょう。

先日、何気なくオリンピックの中継を見ていて、その後に流れた番組に釘付けになりました。

父の命日は広島に原爆が投下された日と同じでした。広島赤十字病院の出来事を当時被災しながらも多くの患者さんの治療をしてきたスタッフの証言と膨大な診療記録を基に制作された番組のようでした。

広島では1945年の12月末までに、約14万人が亡くなったと推計されていますが、生き残った人も長い間後遺症に苦しんでいます。

今年で戦後79年になるのです。戦争経験者で当時の記憶が鮮明な人はかなり高齢になっていますが、その証言は壮絶でした。

今日は長崎の日です。

私は祖母と一緒に住んでいましたが、祖母は子供を9人産み、上2人は戦死しています。遺影写真でしか見たことがありませんが、まだ20歳かそれぐらいだったと思います。

祖母は朝起きると仏器にご飯を高く盛り、仏壇に手を合わせていました。そのご飯は夕方になるとカチカチになっていますが、お湯で柔らかくして食べていたように思います。

明日は母を連れてお墓参りに行ってきます。

命を繋いでくれた御先祖様に感謝し、元気であることを報告してきます。おはぎ作ろうかな。

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